森永製菓の社員が、自身の経験をもとに森永製菓のアレルギーに関する取組について全5回にわたってお話していく連載の第3回目。
毎回、ブログの最後では著者から読者の皆さんへの質問があるかもしれません。コメント欄でお気軽に答えてみてください。そのほか、内容に関するご感想も大歓迎です
こんにちは、高草木です。
みなさんのおやつの思い出などをコメント欄で拝見し、お一人お一人のおやつに纏わるストーリー素敵だなと思いました。また第1回に続き、激励のコメントも頂き、本当に嬉しいです。
第3回はわたし自身の食事の思い出について話していきたいと思います。
(森永製菓とは関係ないお話になりますがご容赦ください。)
第1回、第2回は以下からご覧いただけます。まだの方は第1回から読んでもらえると嬉しいです。
第1回 アレルギーでもいろいろ食べたい!!!
第2回 森永製菓とアレルギー対応食品の歴史
●給食
わたしは公立の小学校、中学校に通っていました。そのために基本的には昼食は給食でした。一般的に『給食』って考えると小学校、中学校の懐かしさを感じる人が多いのではないでしょうか。また、給食の話題になると、世代間・地域間の違いがあり、面白いですよね!しかし、わたしは苦い思い出も多かったように思います。
当時、卵アレルギーの代替給食はあったのですが、小麦アレルギーの代替給食はありませんでした。よって、パンの日はおにぎりを(時には米粉のパン)、謎のスープの日はインスタントスープ(わかめ、コーン)を、麵類の日は春雨やビーフン・フォー(ライスヌードル)を、と言い出すとキリがないですが毎日と言っていいほどなにか別のものを持参していました。今回で3回目ですが、当時のことを思い出しながらブログを書いていると、毎回母に感謝の気持ちでいっぱいで瞬間的に泣きそうになります。笑
特に感じていた思いは『なんで僕はみんなと同じものを食べられないんだろう』、『ソフト麺とかパンってどんな味がするんだろう』というようなことでした。知らず知らずのうちに疎外感を感じていたように思います。周りの友達も小学校低学年であればなかなか理解も進んでおらず、『高草木だけ違うのを食べているの?ずるい!』なんてことも言われましたが、『いやいやこっちが聞きたいわ!』と思っていましたね(笑)。
そんなわたしのことはつゆ知らず、わたしが食べられないであろう人気の給食(ケーキ・ソフト麺など)が出ると、それをわかっている子たちが許可なしに取っていくこともありました。それはもう喧嘩でしたね、『あげるなんて一言も言ってない』、『でも、食べられないじゃん』そんなやりとり。そうなんです、結局食べられないことはわかっているけど、なんか無条件で譲るのは腹立たしかった自分がいました。
しかし、周りの友達の接し方が変わり始めた時がありました。それは、わたしが目の前で救急車に運ばれたときからでした。給食の誤食をしてしまい、昼休み後に顔や頭が腫れて、呼吸困難。学校に救急車が来て、友達の目の前で運ばれました。おそらく、その姿をみて、周りも命に関わることなのかと理解してくれたのでしょう。
そのあと、デザートでわたしが食べられるゼリーが出た時は、率先して譲ってくれたことを思い出します。小学校高学年になる頃には周りの理解と自分自身の身体の理解も進み、変な争いもなく、友達と楽しく給食を過ごせました。本当に、今では良い思い出です。
●外食
学校内でも困りましたが、外食でも困りました。当時、アレルギー対応がしっかりとされている飲食店はあまりなく、メニューの中から食べられるものを探していました。
中学生、高校生になると友達同士で外食ということも増えてきて、周りに気を遣わせたくない(自分のせいで〇〇に行けない)とどこでもついていきましたが、ハンバーガー屋さんでポテト、ラーメン屋でチャーハン、ハンバーグ屋さんでチキン、というその店のメインであるものから外れたものばかり食べていました。大好きなハンバーグも外食だとつなぎが入っているからダメ、カレーも外食だとルーに入っているからダメ、一見入っていなさそうなものに小麦って使われてるんですよねー。中学生の頃、『つなぎってなんだよ、つなぐなよ!!!』って思ったことがありました(笑)。
今は、なに不自由なく外食が出来ており、反動なのかもわかりませんが、外食ばかり行っています(笑)。
誰かとおいしいものを食べて、シェアして、美味しいね!ってそんな当たり前のことがとても嬉しいです!
そんな当たり前の光景が、当たり前じゃない人がいる、ということを知ってもらうことだけでも、ちょこっとだけ優しい世界になるかなと思います。
●質問:皆さんの外食や給食のエピソード、教えてください!