エンゼルファミリーのみなさん、こんにちは、KAZUYOです。
2月に公開しました、
歴史の玉手箱~ 第3回~「森永製菓のビスケットのはじまり」にたくさんコメントをいただきましてありがとうございました。「懐かしい~」「歴史を感じる」といった声を多く拝見しました。今回も前回に引き続き、「ビスケット」を取り上げます。
前回は、ビスケットの歴史と「マリー」を中心に紹介しましたが、「マリー」の次に長寿のビスケットと言えば・・・「
マンナビスケット」です! え?と驚かれた方も多いかもしれませんね。
ではでは早速、知っているようで初耳?!な「マンナビスケット」について掘り下げて紹介していきます!
■「マンナビスケット」のはじまり
「マンナビスケット」誕生は1930(昭和5)年6月1日です。最初はバラ売りでした。
1923(大正12)年に国内向けビスケットの製造を開始し、それから7年後のことです。「マンナビスケット」にここまで長い歴史があることは、あまり知られていない気がしますが、みなさんご存じでしたか?
当時は、お菓子で乳幼児が食べられるものがほとんどありませんでした。森永製菓は「小さなお子さまの成長を支援したい、おいしくて栄養価の高いビスケットを食べてもらいたい」と願い、ミルクの味わいを大切にした、軽くて食べやすいビスケットを開発しました。
ちなみに、『マンナ』という商品名は、旧約聖書にある、“神が荒野をさまよえる民に与え給うた愛の食べ物”manna<マナ>にちなみ、創業者・森永太一郎が命名しました。
1934(昭和9)年のパンフレットを見ると、「
幼少なお子様の栄養菓子として多年の研究を基礎とした特殊な工程によって製造しております。品質は純良そのもので、その大きさ厚さ軽い歯當たり及び牛乳を豊富に使用した栄養力のある点など凡て離乳期以後の幼少なお子様の理想的な常備食用品としておすすめ申し上げます。」と紹介されています。
昭和初期の頃のポスターを見ると、商品に込めた想いが伝わるのではと思います。
1934(昭和 9)年頃には、「マンナビスケット」専用のパンフレットが作成され、用途にあわせ4種類の包装形態が記載されています。
1938(昭和13)年頃のパンフレットや商品です。マリーやチョイスもあります。
「マンナビスケット」は発売以来大好評で、工場では全力をあげて生産をしていました。
当時は、ビスケットが米飯やパンの代用として食ベられていたので、量の沢山入った徳用缶が好まれていました。森永製菓に残っている缶は縦21cm×横21㎝もの大きさです!
■「マンナビスケット」復活!
戦争で販売を中断していた「マンナビスケット」ですが、1952(昭和27)年に意匠包装を変えて発売しました。
当時の資料には、「品質は乳化脂肪・ビタミンB1・カルシウム・ぶどう糖など栄養強化をした製品。包装は印刷アルミホイルを使用している」と紹介されています。
■昔の「マンナビスケット」は・・・子どもの顔、色々
1953(昭和28)年頃に、マンナビスケットに登場する子どもの写真募集を行っています。 1等は 5万円です(今のお金に換算すると約60万円以上)!懸賞の子どもかどうかは分かりませんが、1954(昭和29)年頃から子どもの顔をデザインした缶が発売されています。
そして、左上から1960(昭和35)年、1976年(昭和51)年、1986(昭和61)年、
左下から2000(平成12)年、2002(平成14)年、2012(平成24)年のマンナです。
おいしそうに食べている子どもの笑顔が良いですね。子どもにも時代を感じます。
2008(平成20)年には、オリジナルキャラクターのマンナちゃんがパッケージに登場しました。ビスケットのパッケージのマンナちゃんは「おいしい」のベビーサインをしています。
■マンナの形は丸から子どもの顔に
発売当初の「マンナビスケット」は、丸い形(地球儀と伝わっています)で、「マンナ」の文字と「TM」がデザインされています。この「TM」は、創業者・森永太一郎のイニシャルです。「チョイス」にもデザインされています。
そして、2002(平成14)年、丸い形を楕円の子どもの顔の形にリニューアル。子どもが持ちやすく、親子のコミュニケーションが生まれるように工夫しました。
「マンナビスケット」は、生後9カ月のお子さんからご高齢の方まで召し上がっていただけるビスケットです。長い歴史があるせいか、さまざまな年代の方から「大好き」というお声をいただいています。
やさしいくちどけで、不足しがちなカルシウムや鉄分も手軽に補給できるのも世代を超えて愛される特徴なのかもしれませんね。
今回も、最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
次回は、森永製菓が日本に広めた心温まる行事「母の日」についてご紹介します。お楽しみに!