エンゼルファミリーのみなさん、こんにちは、KAZUYOです。
体が温まるココアは11月上旬から飲む機会が増え始めることから、立冬の日(今年は11月7日)が「ココアの日」として登録制定されているのはご存知ですか?
現在、ココアが日本で広く愛されるようになったのは、森永製菓が日本で初めて飲料用ココアを製造し、パイオニアとしてココアの普及に取り組んできたからだと自負しています。
そこで今回はココアについて紹介したいと思います。
■1919年、国産初の飲料用ココアを発売
森永製菓は、外国から技師を招き、機械設備を導入して大量生産を始めることを決断し、1918年には日本で初めてカカオ豆から一貫製造したチョコレートを発売しました。
このあたりについては、前回の
「歴史の玉手箱~チョコレート」で説明しましたね。その翌年の1919年にはカカオプレスを導入しココアの製造を開始し、8月1日に国産初のココア「ミルクココア」(30匁缶45銭)が誕生。1920年3月1日には、純ココア「ブレクファストココア」(40匁缶50銭)を発売しました。
▲左:1920年頃のブリキ看板 右:1921年のブリキ看板
ココアは一般にほとんど知られていない上、高価な食品でした。味もなかなか受け入れてもらえず、ココアの普及には、チョコレート以上に努力を必要としました。しかし、多彩な広告宣伝活動を展開して、マーケット育成を図っていきます。
■ココアによる栄養摂取の必要性を啓発
1919年の「ミルクココア」の新聞広告を見ると「朝は身体の滋養に 夕は疲労の補いに」や「朝の一杯は終日を愉快にせしむ 而かも価格低廉且つ便利なる好飲料にして 特に胃腸の弱き人によし 当社特製のココアに粉砂糖及粉ミルクを適量に調和したるものにして熱湯を注げば直ちに芳味共に優れたるココア湯になる」と「ミルクココア」がどのようなものかを説明し、「健康」を訴求しています。
▲1919年の新聞広告
■様々な場所で「おいしさ」を体感する機会を創出
・ココアホール
1920年春に開催された大規模な福岡工業博覧会に主要商品を出品するとともに、日本初のココアホールを特設。この時代、博覧会ほどPRに効果を発揮する場所はなく、入場者150万人にココアを味わうチャンスを提供しました。その時のウェイトレスの制服は工場女子の制服と同じ白の看護婦服、しかし足元は白足袋に鼻緒の草履、髪形も日本風です。
▲日本初のココアホール(福岡工業博覧会)
・キャンデーストア(カフェ)をオープン
1923年以降は、実物宣伝を目的に森永直営売店とカフェを併設した「キャンデーストア」を次々と開店。カフェの家具類はアメリカから輸入し、従業員は接客訓練を受けて、モダンな制服でお客様を出迎えます。ココアやコーヒー、アイスクリームなどの当時最先端のメニューを提供して、人々を魅了しました。
▲1924年のキャンデーストア銀座店
▲1923年の東京丸ビルのキャンデーストア開店広告
・ココア接待所
1924年には、登山家の栄養補給のために富士山に無料でココアを味わえる「ココア接待所」を開設。1938年頃まで毎夏、上高地や白馬山などでココアを提供し好評を博しました。
▲1927年の富士山のココア接待所
▲左:1936年のポスター 右:1935年のポスター
その後も、飲み方やレシピ提案、受験用や家族団欒など食シーンの訴求、幅広い年代を意識した商品発売、ココアの機能研究などに取り組んできました。
森永ココアのホームページに詳しい年表がありますので、おいしいココアを飲みながら、ぜひご覧ください。
森永ココアの歴史はこちら>>
さて、次回は受験シーズンに大活躍する「ラムネ」をご紹介します。お楽しみに!