エンゼルブログ
2026/08/27

歴史の玉手箱~第31回 ミルクキャラメルヒットまでの挑戦~黄色い箱の誕生秘話~

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エンゼルファミリーのみなさん、こんにちは。KAZUYOです。

今回の「歴史の玉手箱」は、森永製菓のロングセラー「ミルクキャラメル」のお話です。

いまでは“黄色い箱”でおなじみの存在ですが、そこに至るまでには「屋外でもスマートに食べられるキャラメル」を目指した、長い試行錯誤の物語がありました。
実は創業期、キャラメルはすぐに日本の人々に広く受け入れられたわけではありませんでした。乳製品にまだ馴染みが薄かったことに加え、日本の高温多湿な気候は、溶けやすさやベタつきなど“品質保持”の面でも大きな壁だったのです。

今回は、キャラメルを“携帯する”という発想に焦点を当て、1908年の小缶、そして紙箱へとつながる挑戦の歩みをひもときます。


 
創業期のキャラメルは「バラ売り」だった

1899年、森永太一郎が「森永西洋菓子製造所」を創設。創業当初からキャラメルも製造・販売していました。
この頃のキャラメルは、一粒ずつ包まれたものをバラ売りしていました。

「数粒入りの小さな携帯容器に入れて売れば、屋外消費にも向き、歓迎されるはずだ」。
この“ポケット用小容器”へのこだわりが、次の挑戦につながります。


 


 
1908年、「森永ポケットキャラメル印刷小缶」誕生――うまくいかず

1908年7月1日、「森永ポケットキャラメル印刷小缶」(10粒入・10銭)を発売します。
美麗な印刷を施したブリキの小缶は、品質保持の面でも優れていました。ところが、容器代がかさみ、1粒1銭と従来の単価の2倍に。新聞広告なども打ったものの、結果は不成功に終わります。

「品質保持を考えれば金属容器以外は考えにくい。しかし“携帯用容器入り”というアイデアは捨て難い」――。
このジレンマが、ブリキ缶以外の素材・新工夫という次の課題を生みました。
 


 
劇場での気づき――“音を立てず、スマートに取り出せる”容器とは

転機のヒントは、劇場にありました。
1911年に帝国劇場が建てられ、二階左側に森永製菓の売店が設けられます。帝国劇場の観客席は“西洋式”だったため、従来の芝居小屋と異なり、上演中は禁煙で、弁当も広げられず、紙袋に入った菓子を食べればガサガサ音がして周囲に気を遣う――そんな空間でした。

毎日営業活動で劇場を訪問していた当時の営業部長が観客の不便さを目の当たりにし、紙巻煙草用の「紙箱」を応用することを思いつきます。これなら観客席はもちろん、電車の中でも屋外でも、体裁よくキャラメルを取り出せる。さっそく社長・専務に上申しました。

アイデア自体は評価されたものの、当時の課題はやはり日本の気候です。
「紙では梅雨時などにキャラメルが吸湿してベトつくのを防げない。冒険的だ」と、企画はいったん保留となります。それでも彼はあきらめず、実現の機会をうかがいながら、関係者に協力を求め続けました。
 
 ▲帝国劇場案内パンフレットの広告



 
博覧会土産としてテスト販売した結果は?

時代が進み、携帯に便利な菓子を求める声が強まるなか、品質保持の課題に真正面から取り組んだのが、のちに二代目社長となる松崎半三郎(当時、支配人)でした。

松崎は、キャラメルの保存耐久性を高めるため、製造方法の改善や包装上の工夫を技術者に研究させていました。しかし、工程・包装のコスト問題があり完全解決は難しく、温湿度調整装置の導入も考えましたが、すぐの実行は費用と時間の面で困難でした。
そこで、紙箱案を“品質保持策つき”で実行に移します。

具体的には、紙を二重にし、それを40個入りの缶に収め、さらに缶のフタはハンダ付けして空気の侵入を防止。加えて、冷暗所保管の注意を印刷した紙を貼り付ける――という対策を立て、紙箱入りのポケットミルクキャラメルを試売することにしました。

試売の舞台に選ばれたのは、東京大正博覧会。森永は各種製品を出品し、特設売店でドーナッツの製造実演も行いながら、紙箱入りのポケット用ミルクキャラメル(20粒入・10銭)を初めて1914年3月に発売します。この商品は博覧会土産として素晴らしい人気を呼び、前代未聞の売行きを示しました。
 
 ▲左:1914年の大正博覧会売店広告/右:テスト販売時のミルクキャラメル


 
「ミルクキャラメル」は爆発的大ヒット商品に

博覧会での成功に自信を得た森永製菓は、直ちに本格発売へ踏み切ります。本格発売にあたり、パッケージデザインを一新し、黄色を基調色として当時フランスで流行していたアール・ヌーボー調のデザインでまとめました。そして6月10日に発売を知らせる広告を出しました。(この日(6月10日)がミルクキャラメルの日です)

品質保持の面からも商品回転を早めることが重要と捉え、広告宣伝を徹底しました。売れ行きは爆発的となり、生産能力増強が急務に。
その対応として1915年に大崎工場を新設、さらに1918年に大阪大仁工場を竣工し、生産能力を飛躍的に高めていきました。
 
 ▲左:1914年のミルクキャラメル/右:湿気対策として工夫されたキャラメルの化粧缶
 
 ▲キャラメル包装室



 
小缶の失敗が、紙箱入りの成功につながる

1908年:ブリキ小缶はコストの問題で失敗
1911年:帝国劇場で“紙箱なら静かにスマートに食べられる”と気づく
1914年:紙を二重に+密封缶+注意表示で品質保持を補い、博覧会土産として大ヒット

「携帯性」と「品質保持」。一見すると相反する2つの課題を、あきらめない情熱と“現場の工夫”で両立させたことこそが、100年以上愛され続けるロングセラーの原点だったのかもしれません。

みなさんにとって、ミルクキャラメルはどんな思い出のある存在ですか?「お出かけのときにポケットに忍ばせていた」「黄色い箱を見ると懐かしい気持ちになる」など、みなさんの思い出のエピソードやメッセージを、ぜひコメントで教えてくださいね!

それではまた次回の「歴史の玉手箱」でお会いしましょう。 どうぞお楽しみに!
 
 
 


 
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