私にも勉強中に食べたキャラメルの思い出が有りますが、今日は母から聞いたキャラメルの思い出をご紹介します
昭和6年生まれ、6人兄弟の長女だった母は、兄弟の中でも一番おっとりしたタイプで、花屋を営む両親と父方の祖父母の大家族で暮らしていました
その母から、戦時中のキャラメルの思い出を何度も聞いたことが有りました
先ず驚くのは、戦時中にキャラメルの配給があった事です
仕事の忙しい母の母は、大切な配給のキャラメルを毎日一粒ずつ子どもたちに渡すのではなく、一箱ずつ渡して自己管理させたそうです
それは次の配給まで、それぞれがどうするのかという教育の一貫でもあり、家業が忙しく子どもに時間を取られないための策でもありました
6人の兄弟は性格もバラバラで、母とすぐ下の妹は引き出しに大切にしまって、何日にも分けて少しずつ食べていたそうです
その時、お互いに自分の分が先に無くなるのがイヤで、毎回
「もう一つ食べる?」
「一緒に食べよう!」
と妹と牽制しあい、同時に食べるという事をしていたそうです
方や弟たちは、もらった一箱をすぐに食べてしまい、のちのち姉たちが大切に食べていると
「いいなぁ、いいなぁ…」
と羨ましそうで、おっとり長女の母は時々その粘りに根負けしたようです
この微笑ましい話は、母が私たち兄妹のおやつにキャラメルを渡す時、何度も話してくれた思い出話でした
母から折に触れ聞く戦時中の話は、キャラメルの話を筆頭に、暗くもなく、逞しく、兄弟の愚痴でさえ時に楽しそうで、産めよ増やせよの時代だったとしても、兄弟が多くて良かったのかなと思わせてくれました
森永ミルクキャラメルの黄色い箱は、甘い物好きだった母の子供の頃に、私をタイムスリップさせてくれるいつも懐かしいパッケージなのです