エンゼルファミリーのみなさん、こんにちは、KAZUYOです。
前回は昭和初期をご紹介しましたので、今回は少し時代を進め、1950~60年頃の森永製菓を振り返ります。まずは、昭和元年から30年後の1956年の出来事から見ていきましょう。
1956年(昭和31年)の出来事
- アイスクリームバー(10円)・カップ(10円・20円)、チューレット(20円)発売
- ケチャップ〈広口瓶〉(100g 33円)、スープコンソメ〈チューブ入り〉(30g 35円)発売
- 神奈川県・鶴見工場にアイスクリーム製造施設が完成し、冷菓事業に進出
- 生産部門と営業部門を分離し、マーケティング機構を導入
▲アイスクリームバー・カップ
■「ほんとうのキャラメル」と懐かしの板チョコ復活
戦後、極度の物不足で混乱する中、粗悪な原料や代用原料を使用した菓子が出回っていましたが、品質重視の当社は正規原料の輸入を待ちました。
1949年、創業50周年を迎えた年に水飴の統制が解除され、「ミルクキャラメル」の特別自由販売の許可を受け、一部の店舗で販売を再開。1950年には練粉乳などの原料の統制が解除され、業務用砂糖の配給も始まり、菓子類の価格統制も撤廃されたことで、ようやく自由販売ができるようになりました。
多くのお客さまが楽しみにしてくださっていたので、販売初日には東京・銀座のデパートに行列ができるほどの人気となりました。原料の入手困難な状況下では製造できなかった戦前の品質水準以上の「ほんとうのキャラメル」として販売したキャラメルは、大ブームとなりました。
1951年には「ミルクチョコレート」も復活。空襲で被災した鶴見工場の焼け残った機材を兵庫県の塚口工場へ運び、新たにチョコレート生産設備を設置して製造が再開されました。当時の森永製菓の先輩たちは、再び生産できる喜びとハリキリぶりは大変なものだったそうです。
▲キャラメル自由販売予告広告。「日本一のキャラメル工場で造られたほんとうのキャラメルを自由に買える時代がもうすぐやってきます」。つくる人、売る人、買う人、皆がうれしい、平和な時代の到来を感じさせるお知らせです/昭和24年
▲1950年のミルクキャラメルポスター
▲復活したミルクチョコレート
■食品の拡充とアイスクリームの新登場
欧米から最新式の大型設備・機械を次々に導入し、大量生産体制が整えられました。キャンディ、チョコレート、ビスケットなどを発売していきます。そして、一般家庭の食生活の洋風化に合わせて、以前からあったミルクココアや紅茶といった飲料類に加え、スープやケチャップ、ホットケーキミックスなどの食品も次々と充実していきました。
また、ドライアイスや業務用電気冷蔵庫の開発・普及の後押しもあり、アイスクリームの需要が急増。夏場はチョコレートが溶けるので販売できない打開策として、1956年にアイスクリーム製造を開始しました。こうして、お菓子・アイス・食品と、ラインアップが年々増えていきます。
▲1956年のパンフレット
▲1958年のお菓子屋さん
■子どもたちに夢と明るさを PRカー「エンゼル号」とヘリコプター「森永号」
キャラメル復活の勢いに乗って注目されたのが、1951年に完成したPRカー「エンゼル号」です。
移動販売車ではなく宣伝専用車で、黄色の車体の胴体がパカッと開くと、ぬいぐるみの動物ロボットが音楽を奏でます。指揮者の猿をはじめ、キリンや熊など総勢15匹の団員が楽器を持ち、リズムにあわせて演奏する仕組みでした。
童謡歌手やアコーディオン奏者、腹話術師と一緒に、販売店や海水浴場などを訪問すると、たちまち人だかりに。各地の小学校での訪問実演も大好評でした。また、新発売された携帯用のテープレコーダーを使って、観客と会話した録音を即再生する趣向が大人気。全国をまわり、1952年には延約25万人の観客が集まったという記録も残っています。
▲小学校の校庭で演奏
▲子どもにも大人にも大人気
1953年からは、ヘリコプター「森永号」による巡回青空教室もスタート。小・中・高校・大学など全国101校の校庭を訪問しました。青空教室では、ヘリコプターの構造や機能を説明。抽選で選ばれた児童や生徒が、実際に森永号へ搭乗する機会もありました。最後にはパラシュートに数百個のキャラメルを結びつけ、空からプレゼントしたそうです。95日間の運航で約90万人を動員しました。時代の先端を行く教育的な企画だと学校関係者からは好評だったそうです。
▲ヘリコプターを見守っている大勢の群衆
▲ヘリコプター模型
▲1953年のヘリコプターを描いたポスター
■広告宣伝の新時代へ
1951年の民放ラジオ開局、1953年のテレビ放送開始により、広告宣伝の形も大きく変化します。
森永製菓は多くの企業が様子見をする中、いち早くラジオ・テレビCMを積極展開。「エンゼルはいつでも」「やっぱり森永ネ」などのCMソングも誕生しました。
また、大相撲の伝統的な懸賞「森永賞」は1951年に開始。懸賞掲出企業の中でも最も古い企業になります。このように数多くの楽しい企画を展開していきました。
本当はもう少し先の時代までご紹介するつもりでしたが、取り上げたいことが多すぎて、今回はここまでにします。ゆっくりと楽しみながらご紹介していきますね。
次回も「昭和の森永製菓」の続編を紹介します。お楽しみに!